建て主との出逢い
2005年 10月 24日


「お金が沢山あれば、よい家ができると言ってそうではない」
「広い家であれば豊かな空間と言ってもそうではない」
一番心に残ったのは、「実は、自分が希望の好きなパイン材の床で、壁は漆喰の家を作っている会社を5件も見たが、何故かどうしても自分が住みたいと思えなかった。それが何故かが解らないのだけど、、違うと言うことだけは解る。自分が何を求めているかをいくら説明しても解って貰えるかどうかが解らない。」
思わず、その通りだと思ってしまった。例えば私が「地元材」の活動をしているが、それは単に材料を供給している訳ではない。また営業をするための「道具」としてでもない。本当に広い意味でそれぞれを高めていこうとすること。
設計においてもその通りで、その材料や工法を使えばよいという単純な話ではない。建築をつくる意味を、設計するという意義を考えなくてはならない。
これは本当に難しい話で、私もいつも一生懸命に考えてもこれだという答えは見つからない。けれど、見つからないかもしれないが、「考える」事を忘れずにいたい。諦めずにいたい。設計者として大切なことだから・・


昨日は建て主からの素直な言葉として私達設計者が本当にやらなくてはいけない事を改めて教えて貰い、この出逢いに感謝する。そういえば、今までの方にも色々なことを教えてもらったな~。機会があったら、綴っていきたい。
ケアタウン小平「いっぷく荘」
2005年 10月 12日

建物は一見普通に見えますが、綺麗に、清々しくつくってありました。しかしそれだけではなく、住宅が持つ暖か味もあり、「ケアハウス」「家」として心地よい空間であり、場所だと思いました。


このケアタウンは、映画やドラマにもなった「病院で死ぬということ」の著者でもある医師の山崎章郎氏の桜町ポスヒスが進化した形だと私は思っていました。ポスピスでは、癌やエイズ患者のための終末医療であり、その他の方々の問題や、また金額的にもポスピスではお金が掛かる点も考慮した施設だと認識していたのです。田舎にいる私としては、かなり画期的だと思っていたのです。
しかし、今朝、NHKでの「生活ほっとモーニング」を観た所、もっと奥が深い部分があり、山崎先生やオーナーの長谷さんが本当に広く、大きく医療や介護について、地域について考えているので、感激屋の私は感じ入ってしまいました(^^)

それは、この「いっぷく荘」でのサービスをその中だけのものに彼らが考えてはない点です。まずは、今までは違っていた、医療・看護・介護・食事のサービスがそれぞれが連携して、よりよいケアの提供を目指しています。これも凄く進歩している話なのですが、さらに「わが家で最期を迎えたい」というタイトル通りに、そのサービスを逆にその場所から外へ地域へ広げていこうとしている点です。地域の病院や福祉施設との連携も整えていて、まさにネットワークです。
番組の中で、山崎先生が「その建物が出来たけれど、それは拠点であり、決して建物そのものがなくても、地域やわが家で出来ればよい」と話していました。設計者である私達にとっては、建物をつくってもらうことは嬉しいのですが、そのコメントを聞いて、やはり最終的な目的を見失ってはいけないと思いました。オーナーの長谷さんが番組の中でも、二組の方と面接をしていましたが、ただ安易に入居をさせる訳ではなくて、状況をしっかりと判断し、適切な介護の方向に持っていこうとしていましたが、その通りだな~と考えさせられました。「豊かにする」ということは、単に物質やサービスだけではないのですよね。設計にも同じような事が言える気がします。
だからお金は儲かりませんが??仕方ないですね??これって???
16年目の訪問
2005年 10月 05日
16年経って、その家の玄関ポーチに立った私は、「木の家ってこんなに綺麗なんだ」と素直に思えた。外部で塗装もしていない杉の垂木や軒天井は、黒く風化していたが、そんな些細な事は問題ではなくて、本当に綺麗だと思えたし、奥行きが感じられた。

玄関の洗い出しも綺麗で、内部の床や壁も綺麗だった。
外壁の白漆喰はクラックもなく、逆に落ち着いたアイボリーとなっている。
出来た当時は長谷川敬氏デザインの玄関ドアが生意気にも骨太に見えたが、16年経って見ると時間を重ねるとこんなにも良いのかを思えた。外部と内部の境界の建具は狂いやすい。
けれど、その様な狂いは感じさせないし、しかし閉じた空間にはしていない。木製建具のか弱さ部分と言うよりも、しなやかで何処か力強さもある。
それは家全体に言えることかもしれない。
木の家は「生きている。住む人と、自然と共に時間を過している。」と改めて思えた。
あ~、家も、人も、歳を重ねる度に味わいが増し、奥行きが出てくることが何故か愛おしく思える。自分自身もそんな時間の重ね方をして行きたい。
それにしても、何も出来なかった当時の私を暖かく見守ってくれた建主にも感謝しているし、
何よりも、当時毎日のように怒りながらも私を信用し、責任ある仕事を与えてくれた所長の長谷川氏に改めて感謝している。